[丹羽 剛] プロフィール

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基本情報

丹羽 剛(にわ つよし)
Tsuyoshi Niwa
演奏家  作曲・作詞・編曲 
フルート|サックス|作曲
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丹羽 剛 - にわつよし
ソプラノサックス、アルトサックス、テナーサックス、フルート奏者、作曲家

1972年東京生まれ。10歳の時、トランペットとコンピューターを始める。中学生時代をメキシコで過ごし、高校受験に合わせ帰国。高校から始めたサックスは、その魅力に段々と取り憑かれ、化学専攻生として「中国製ウーロン茶葉中における有機性残留農薬の分析」という卒論と共に大学を卒業するも、卒業後は一転して音楽の道を志し、ニューヨークへの音楽留学を決めた。

ニューヨークではサックス奏者のジョージ・ガゾーン氏、ピアニスト兼作曲家のフィル・マルコヴィッツ氏らに師事。しかし、音大での経験だけでは物足りず、現地就職することで滞在期間を延長することに成功した。クイーンズ地区の日系ラーメン工場の食品アナリストとなった丹羽は、平日勤務終了とともに音楽活動を開始。自身のカルテットを結成してレコーディングやライブを行った。処女作「シーケンス X」ではフィル・マルコヴィッツ、マット・ウィルソン(ds)らと、第2作「インターナル・ダンス(自主制作盤)」ではオーティス・ブラウン3世(ds)らと共演した他、ライブではロバート・グラスパー(p)もバンドに加わった。3年後、NYでの長期戦を睨んでアメリカ永住権(グリーンカード)取得を目指し、コンピューター・エンジニアへと転職した。

2003年、バンドメンバーとしてサポートしていた歌手のアマリア・グレが本国イタリアで大ブレイク。メジャーデビューとなる彼女の初アルバムのレコーディングのためローマへと飛んだ。その半年後にはイタリア全国ツアーへの参加を依頼され、当時エンジニアとしてアメリカ永住権を申請中だった丹羽は、しかし迷うことなく、仕事とアメリカでの未来を捨ててイタリアへの移住を決めた。

イタリアツアーでは30都市を廻り【一生に一度の】かけがえのない経験をした。トリノ・ジャズフェスティバル2004では、グラミー賞受賞11回の世界的サックス奏者、マイケル・ブレッカー氏と同じ日の出演となり、会場でブレッカー氏はリハーサル後の丹羽の楽屋を訪れると「とても美しいソプラノサックスの音だ」と激励した。ローマでは自身のリーダー作のレコーディングも行った。

帰国した2004年夏には第3作「インターナルダンス(Alfamusic盤)」の発表記念ライブを行い好評を博したほか、翌年の2005年にはNHK FMのジャズ番組「セッション505」でも取り上げられた。帰国後は主に東京のジャズクラブでの活動が中心となったが、メキシコのミチョアカン・ミュージック・フェスティバル2004にスペシャルゲストとして招かれたり、アマリア・グレの2nd CDのレコーディングのためにイタリアへ飛んだりもした。2008年、丹羽はその音楽とコンピューターとバイリンガルの能力を買われて、アメリカのマスタリングスタジオ「Sterling Sound(スターリングサウンド)」の日本代表の仕事を任された。数々の音楽制作を裏舞台から支援する仕事を通じて、丹羽は自身の今後の音楽活動の方向性を次第に見定めていった。

2011年6月、7年ぶりにNYでの音楽活動を再開。前回活動時のミュージシャンらとの旧交を温めるだけでなく、そこからさらに新しい出会いが生まれる【二度目のニューヨーク】ならではの経験を楽しんでいる。特に、東京時代の盟友、井上祐一氏(p)の訪米がきっかけとなった第4作目のCDレコーディングでは、ビリー・キルソン氏(ds)や、マイケルの兄、ランディー・ブレッカー氏(tp)など、超大物との共演が実現。再度渡米という決断が正しかったことに丹羽は自信を深めている。
詳細プロフィール
活動拠点
対応可能地域
ジャンル ジャズ
演奏家
レパートリー
演奏料金(1ステージ当り)
別途機材費
演奏可能な会場の種類
ディスコグラフィー
その他演奏について
作曲・作詞・編曲
補足事項
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